同時代性とは何か:現代美術の現状報告と現代建築へのいくつかの問いかけ

以下イベント告知文より
2010年代に盛んに行われた地域芸術祭や次々に生まれたオルタナティブスペース、またコロナ禍で一般化したオンライン展示、さらに2021年はNFTの爆発的な広がりを見せたNFT元年であり、アート界では新しいマーケットへの可能性が語られています。2020年代、アートは様々な場所で受容され、作品は売買されることで、アート界は何度目かの活況を見せているのです。
美術館はどうでしょうか。グローバルには政治的分断、環境問題、国内では少子高齢化、過疎化など喫緊の課題への応答が具体的に求められる局面に来ています。環境汚染や多様性への配慮、また美術館をハブとした地方活性化は、例えば2021年にリニューアルオープンし、建築でも話題になった八戸市美術館、滋賀県立美術館の理念とも呼応しています。いっぽうで、忘れるべきではないのは2010年代には震災や水害によって建築としてのハコである多くの美術館と作品が甚大な被害を受けたことでしょう。そうした地質学的な条件から日本の美術史を批評するのは椹木野衣ですが、彼の問題設定は必然的に日本列島における美術館建築の(不)可能性へと通じています。
美術批評やジャーナリズムはどうでしょうか。衰退の一途をたどっています。もっとも象徴的なのは今年3月に発表された「美術手帖」の季刊化です。ウェブメディアへの移行によって補われる部分はあるにしても、国内において批評やジャーナリズムは影響力を失っていることが明らかです。批評やジャーナリズムが新たな人々を美術館へと向かわせる役割を持っていたとしたら、これらの衰退は美術館がコロナ禍で予約制になったことと併せて、美術と社会をつなぐ回路が貧しくなっていくことを意味しています。ただし、もし完全に消滅する以外の選択肢が残されているとすれば、そこで「批評的な」言説を担うのは、おそらく新興アートコレクターたちの言葉でしょう。美術批評は、いま担い手を大きく変えようとしているのです。
この度はこうしたアート界全体の流れ、日本の美術館や批評・ジャーナリズムのおかれた現状を報告したうえで、同時代を共有する現代建築へのいくつかの問いかけをしてみたいと思います。
【トピック】
・理想の展覧会(?)としての「ユージン・スタジオ:新しい海」展について-ケアと癒しのポピュリズム
・不眠社会に夢見られる展覧会の姿について-反復と現前性の時代に
・霊廟になりきれない美術館のある場所、日本について-地方芸術祭と建築不要論
・「悪い場所」を保存修復するための「可逆性」という概念について-悲劇の脱構築に向けて
プロフィール
南島興
美術